マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

愚かさと賢さとは表裏一体

 ――愚かさは結果論でしかわからない。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 また――

 同様に、

 ――賢さも結果論でしかわからない。

 とも――

 

 ……

 

 ……

 

 以上のことからいえるのは、

 ――愚かさと賢さとは表裏一体である。

 ということです。

 

 一般に、

 ――愚かさは賢さの対極にある。

 と考えられていますが――

 そうではないのですね。

 

 愚かさの極と賢さの極とは――

 さながら円グラフのように、互いに背中合わせで隣り合っています。

 

 賢さの極致を少し通り越しただけで、愚かさの極致に至り――

 愚かさの極致を少し通り越しただけで、賢さの極致に至るのです。

 

 そして――

 愚かさの対極と賢さの対極とは、実は同じであり――

 それは、

 ――愚かでも賢くもないこと

 つまり、

 ――凡庸

 です。

 

 よって、

 ――愚かでありたくない。

 と思うならば、

 ――凡庸

 であるのがよいのです。

 

 決して、

 ――賢くありたい。

 と思ってはなりません。

 

 賢くなろうと思えば思うほどに――

 愚かになってしまいかねない――

 

 もっとも――

 自分が愚かなのか、賢いのかは――

 あくまでも結果論でしかわからない――

 ということですから――

 

 賢くあろうと一生懸命に努力を続けている人は――

 自分が本当に賢いのかどうか、それとも、実際には愚かなのかどうかについて――

 少なくとも、その努力の途中経過では――

 絶対にわからない――

 ということになります。

 

 ここに――

 愚かな行為が、人の世から、なかなか無くならない理由が隠れています。

 

 愚かな行為を続けている人は――

 自分が愚かであることに、なかなか気づけないのですね。

 

 なぜ気づけないのか――

 

 むしろ、

 ――自分は賢い。

 と思っているからです。