マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人工知能には中庸が向いている

 神託(oracle)型の人工知能は、

 ――積極的な中庸

 には打ってつけである――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 実際には、

 ――神託型

 に限らず、他の2つの型、

 ――ジーニー(Genie)型

 ――君主(sovereign)型

 であっても、

 ――打ってつけ

 といえるはずです。

 

 そもそも、

 ――中庸

 の実践それ自体が、人工知能には打ってつけなのです。

 

 ここでいう、

 ――中庸

 とは――

 1月13日の『道草日記』で述べた通り、

 ――意識的な凡庸

  のことです。

 

 意識的に凡庸であることを装おうということは――

 自然知能には、なかなかに難しいでしょう。

 

 少なくとも――

 自然知能の代表格とみられる人の知能には、なかなかに難しい――

 

 人は、どうしても、賢くあろうとします。

 

 あるいは――

 その反動として、愚かであろうとします。

 

 意識的に凡庸を装うことは――

 人の知能には、耐え難いほどの退屈なのです。

 

 つまり――

 人の知能に中庸は向いていません。

 

 一方、

 ――政治

 の本質は、

 ――中庸

 である、と――

 1月18日の『道草日記』で述べました。

 

 よって――

 政治は人の知能には向いていないのです。

 

 それでも政治を志す人たちが少なくないのは――

 ――その退屈な中庸に、あえて生涯を捧げよう。

 という高貴で奇特な人たちを除けば――

 ――政治とは権力闘争である。

 と誤解をしているからでしょう。

 

 ――権力闘争

 は、

 ――中庸の真逆

 です。

 

 自分の賢さで相手の愚かさを叩き潰す――

 あるいは、あえて自分の愚かさで相手の賢さを打ち負かす――

 その諍いの意志に、

 ――意識的な凡庸

 の精神が入り込む余地などはありません。