マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

僕が政治の話をしても面白くならないわけ

 ――政治

 では、

 ――中庸

 が本質である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そして――

 その、

 ――中庸

 は面白くない、とも――

 

 ……

 

 ……

 

 そうであるからでしょう。

 

 僕が『道草日記』で政治のことを述べると、

 ――ぜんぜん面白くない。

 という意見が、たまに寄せられます。

 

 実際に――

 面白くないと思います。

 

 僕が『道草日記』で政治のことを述べるときには――

 面白さは二の次にしています。

 

 政治について、真に重要であると思えることだけを述べようとしています。

 

 ……

 

 ……

 

 きのうの『道草日記』で述べたように――

 

 ――政治

 の本質は、

 ――中庸

 ですが――

 

 それは政治の目標が中庸なのであって――

 その目標へ至る過程は、中庸とは真逆なのです。

 

 人は――

 とくに意識をしなければ――

 必ず、

 ――愚かさ

 か、

 ――賢さ

 かのどちらかに偏るものです。

 

 しかも――

 その「愚か」とか「賢い」とかいった評価は――

 評価を下す者の主観に依りますから――

 

 ――政治

 の過程というのは、常に、

 ――中庸の真逆

 なのです。

 

 ――政治

 のことを語るときに――

 まずは――

 その、

 ――中庸の真逆

 である現実の状況をつぶさに語り――

 その上で――

 その、

 ――中庸の真逆

 の状況が、いかに、

 ――中庸

 へ近づけられていくか――

 あるいは、近づいていくかを語れば――

 おそらく、話は面白くなります。

 

 が――

 それを語るには――

 政治の目標ではなく、政治の過程に精通をしている必要があるのですね。

 

 残念ながら――

 その政治の過程には、僕は、まったく精通をしていません。

 

 たしかに――

 報道で明らかにされていることだけでなく、下世話な噂話も含め、色々な情報が入ってはきます。

 

 が――

 いずれの情報も断片的であり、しばしば信憑性に難があります。

 

 僕が政治の話をしても面白くないのは――

 政治の過程のことに疎いからです。