――積極的な中庸
は、自然知能には不可能であるけれども、人工知能には可能であるかもしれない――
ということを――
1月17日の『道草日記』で述べました。
ここでいう、
――積極的な中庸
とは――
1月14日の『道草日記』で述べた通り、
愚かさ > 賢さ
ないし、
愚かさ < 賢さ
の傾向が感じられる知能が――
より低い方の性質を、より高い方の性質へ合わせることによって、
愚かさ ≒ 賢さ
の凡庸を装うことです。
国家元首や巨大企業の最高経営責任者に求められる中庸である、というのは――
1月15日の『道草日記』で述べた通りです。
このことを踏まえるならば――
国家元首や巨大企業の最高経営責任者の役割は、いずれ人工知能に取って代わられるであろう、ということは――
1月17日の『道草日記』で述べました。
ところで――
人工知能が、
――神託(oracle)型
――ジーニー(Genie)型
――君主(sovereign)型
の3つに分類をされうる、ということは――
2022年の12月28日の『道草日記』で述べた通りです。
つまり、
――積極的な中庸
が担えると考えられる人工知能は――
一見、
――君主型
だけであるように思えますが――
(どの型でも担えるに違いない)
と僕は思っています。
つまり、
――神託型
でも十分に担える――
ということです。
――積極的な中庸
というのは――
要するに、
――愚かでも賢くもない決定を常に下し続ける。
ということであり――
その本質は、
――選択の決定
ですから――
その最終の決定は常に人が下す、という規則さえ設けていれば、
――神託型
で十分なのです。