マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

中庸は面白くない

 (中庸は面白くない)

 と思います。

 

 ――中庸

 は、1月13日の『道草日記』で述べた通り、本来は、

 ――何事にも偏らず、常に変わらないでいること

 あるいは、

 ――過不足がなく、調和がとれていること

 といった意味です。

 

 ところが――

 この概念を、

 ――愚かさ

 や、

 ――賢さ

 に当てはめると――

 ――愚かさにも賢さにも偏らず、常に変わらないでいること

 という意味や、

 ――愚かさと賢さとの過不足がなく、調和がとれていること

 という意味になり――

 

 つまり――

 それは、

 ――凡庸

 という意味になりますから――

 

 ――中庸

 とは、

 ――意識的な凡庸

 である――

 と僕は考えているのですが――

 

 ――中庸

 の本質が、

 ――凡庸

 にあることから――

 

 ――中庸

 が面白くないのは理の当然です。

 

 それにもかかわらず――

 僕は、

 ――中庸

 の概念は大切であると考えています。

 

 とりわけ、

 ――政治

 の領域で大切である、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ――政治

 の本質は、

 ――社会における利害関係の調整

 です。

 

 利益をいかいに分け配り――

 損害をいかに分け散らすか――

 その過程で、

 ――中庸

 が唯一の基準となるのは――

 致し方のないことです。

 

 政治の目指すところは―― 

 その本質に敏感であろうとする限り――

 どのように転んだところで、

 ――中庸

 の一択なのです。

 

 それゆえに――

 僕は、10代の頃から、

 ――中庸

 に興味を抱いてきました。

 

 (これは、とんでもなく重要な概念だぞ)

 と直感をし――

 ことあるごとに、そのように自分にいいきかせてきました。

 

 その直感は間違っていなかったと今も思っていますし――

 おそらく、これからも未来永劫、思い続けるでしょう。

 

 とはいえ――

 

 中庸は面白くない――

 

 実に面白くないと――

 心の底から思っています。