マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

現代の人工知能は「本能未満」である

 人工知能が、

 ――神託(oracle)型

 ――ジーニー(Genie)型

 ――君主(sovereign)型

 に分類をされうること――

 また、それらの分類は、よりわかりやすく日本語で表すのなら、

 ――電卓型

 ――秘書型

 ――社長型

 と書き換えるのがよい、ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そして――

 21世紀序盤の現代において――

 人工知能の殆どは、

 ――神託型

 ないし、

 ――電卓型

 であるということも――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この、

 ――神託型

 ないし、

 ――電卓型

 の人工知能には、

 ――合目的性

 も、

 ――定目的性

 も感じられない――

 ということは、おとといの『道草日記』で述べました。

 

 もちろん――

 あらゆる人工知能が「プログラム(program)」という名の指令体系を組み込まれていますから――

 本当の意味で、

 ――合目的性

 が感じられない人工知能というのは存在をしえないわけですが――

 

 電卓に――

 あきらかな、

 ――合目的性

 が感じられないように――

 例えば、ダンスを踊って花の蜜の在りかを仲間に教えるミツバチに感じられるような、あきらかな、

 ――合目的性

 が感じられないように――

 現代の人工知能の殆どには、

 ――合目的性

 が感じられません。

 

 12月25日の『道草日記』で述べたように、

 ――知能

 には、

 ――定目的性

 と、

 ――合目的性

 とが感じられ――

 

 ――本能

 には、

 ――合目的性

 のみが感じられる――

 ということと合わせると――

 

 現代の人工知能の殆どは、

 ――本能未満

 と結論づけざるをえません。

 

 ……

 

 ……

 

 ――本能未満

 とは何か。

 

 ……

 

 ……

 

 (そりゃ「機能」だよ)

 と僕などは思うのですが――

 

 要するに――

 現代の人工知能は―― 

 まだ、そういう段階――機能を備えた機械の段階――にとどまっている――

 ということです。

 

 ――ジーニー型

 とか、

 ――秘書型

 とか――

 あるいは、

 ――君主型

 とか、

 ――社長型

 とかの実現性を真剣に考えられる段階にはない――

 

 ……

 

 ……

 

 その現状について――

 僕は、とくに悲観をするつもりはありません。

 

 この先――

 本当に、

 ――ジーニー型

 ないし、

 ――秘書型

 の人工知能が発明をされるかもしれない――

 あるいは、

 ――君主型

 ないし、

 ――社長型

 の人工知能が発明をされるかもしれない――

 

 それは、それで――

 ありうる未来でしょう。

 

 が――

 

 僕には、

 (遥かに遠い未来のこと――)

 と思えます。

 

 現代の人工知能は――

 まだ、ただの

 ――機能

 です。

 

 たしかに、電卓の機能と比べると――

 現代の人工知能の機能は――掃除ロボットをみてもわかるように――とてつもなく高度で複雑なのですが――

 

 それでも――

 ただの、

 ――機能

 です。

 

 ――本能未満

 なのです。