マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

メンデルは“遺伝”の本質をどのように感じたか

 19世紀オーストリアキリスト教司祭グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)が深い関心を寄せたのは、

 ――遺伝

 ではなく、

 ――遺伝を司っている数理

 ではなかったか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もちろん――

 そうであったからといって、

 ――遺伝

 の本質が、

 ――数理

 にある――

 といい張るつもりは、僕にはありません。

 

 ――数理

 は、

 ――遺伝

 に迫る人知にとっての手がかりや足がかりにすぎませんでした。

 

 あるいは――

 人知を、

 ――遺伝

 へと導く、

 ――入口

 にすぎなかった、といってもよいでしょう。

 

 これと同じようなことが、

 ――心

 についてもいえるのではないか、と――

 僕は考えています。

 

 つまり、

 ――遺伝

 にとっての、

 ――数理

 に相当をする手がかりや足がかりが、あるいは、“入口”が、

 ――心

 にもあるのではないか――

 ということです。

 

 それこそが、

 ――電算機(computer)の作動原理

 ではないか、と――

 僕は思っています。

 

 あるいは、

 ――演算の稼働、

 ないし、

 ――配線の構造

 といってもよいでしょう。

 

 ――数理

 が、

 ――遺伝

 の本質でないように――

 

 ――電算機の作動原理

 や、

 ――演算の稼働

 や、

 ――配線の構造

 も、おそらくは、

 ――心

 の本質ではありません。

 

 21世紀序盤に生きる僕らにとっては――

 何となく本質であるように感じられてしまうのですが――

 

 それは、19世紀に生きたメンデルにとっても同じではなかったか、と――

 僕は想像をしています。

 

 つまり――

 21世紀序盤の遺伝学の知見に照らせば、

 ――遺伝

 の本質は、

 ――数理

 にはありえませんが――

 21世紀序盤の遺伝学の知見を何一つ知らなかったメンデルにとっては、

 ――数理

 こそが、

 ――遺伝

 の本質である、と――

 何となく感じられていたのではないか――

 

 そういうことです。