マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“メンデルの法則”が、すぐには受け入れられなかったわけ

 21世紀序盤の遺伝学の知見に照らせば、

 ――遺伝

 の本質は、

 ――数理

 にはありえないけれども――

 19世紀に生きたオーストリアキリスト教司祭グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)にとっては、

 ――数理

 こそが、

 ――遺伝

 の本質に思えたのではないか――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 以上の憶測は――

 僕の直感にすぎなくて――

 何か学術文献的な裏付けがあるわけではありません――僕はメンデルの原著論文を読んではおりません。

 

 その憶測に強いて根拠らしきことを持ち出すならば、

 ――今日「メンデルの法則」と呼ばれている知見をメンデル自身が世に問うてから学界で幅広く認められるまでに 30 年以上の歳月を要したから――

 です。

 

 メンデルの提唱が受け入れられるまでに歳月を要したことについては、

 ――メンデルの実験・観測の手法が今日でいうところの統計学に基づいていたために、19世紀の生物学者たちにとっては、あまりにも先進的に感じられ、とうてい受け入れ難かったから――

 と説明をされます。

 

 たしかに――

 それは、そうなのですが――

 大切なことは、

 ――なぜメンデルは今日でいうところの統計学に基づく手法を遺伝の研究で用いたのか。

 でしょう。

 

 僕は、

 ――メンデルは、“遺伝”の本質は“数理”にあると固く信じていたから――

 と思うのです。

 

 そして―― 

 その信念が、19世紀の生物学者たちへ、理屈抜きで伝わってしまったのではないか、と――

 

 その信念は、当然のことながら、19世紀であろうと21世紀であろうと、生物学者たちに共有をされることは決してありません。

 

 生物学者に限らず、

 ――遺伝

 に深い関心を寄せる者にとっては――

 とうてい受け入れ難いのです。

 

 メンデルの報告を約 30 年後に掘り起こした生物学者たちは、おそらく――

 メンデルの信念をメンデルの報告から巧く削ぎ落とすことに成功をしたのです。