マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

メンデルは「遺伝」に深い関心をもっていたか

 ――DNA(deoxyribonucleic acid)

 という物質について――

 日本語で表記をすると、

 ――デオキシリボ核酸

 という物質について――

 厳密に説明をしようと思うと、なかなかに厄介である――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――メンデル(Mendel)の法則

 は――

 実は、もっと遥かに厄介です。

 

 ……

 

 ……

 

 ――メンデル

 というのは――

 19世紀オーストリア帝国キリスト教司祭、

 ――グレゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)

 のことです。

 

 ――司祭

 ですから――

 メンデルの法則の発見を含め――

 その学者業は副業であったといってよいでしょう。

 

 ただし――

 中世以来、修道院には農業や医療における先進技術の発展に貢献をしているところがあり、そのような伝統がメンデルが所属をしていた修道院には強かったようですから――

 必ずしも本業と分離をしていたわけではないようです。

 

 メンデルにとっては、学者業は宗教活動の一部であったのではないでしょうか。

 

 今日、

 ――メンデル

 といえば、

 ――遺伝学の祖

 と讃えられますが――

 若い頃は、数学や物理学が得意で、生物学は不得意であったようです。

 

 晩年は、植物の研究ではなく、気象の研究で、学界から評価をされていたといいます。

 

 メンデルにとって、

 ――遺伝

 は、おそらく、そんなに深い関心を呼ぶ主題ではありませんでした。

 メンデルが所属をした修道院で、たまたまエンドウ豆の品種改良の研究がなされていたことから、必要に迫られて、

 ――遺伝

 に関心をもったのであろうと想像をします。

 

 裏を返すと、

 ――遺伝

 という生物学的事象に、そんなに思い入れがなかったからこそ――

 品種改良の研究の成果を過不足の少ない形で纏め上げることができ――

 その結果、一定の普遍性の獲得に至ったのでしょう。