マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

解剖から生理へ

 ――病理から生理へ

 の発想について――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう「病理」とは、

 ――病気の仕組み

 くらいの意味で、「生理」とは、

 ――正常な体の仕組み

 くらいの意味です。

 

 医学の分野に、

 ――病理学

 や、

 ――生理学

 というのがありますが――

 そこでいう「病理」や「生理」よりは、だいぶ安直な意味で使っています。

 

 ちなみに――

 

 ――病理から生理へ

 という発想と並んで、

 ――解剖から生理へ

 という発想もあります。

 

 ここでいう「解剖」とは、

 ――形態

 という意味で、「生理」とは、

 ――機能

 という意味です。

 

 医学の分野に、

 ――解剖学

 というのがあります。

 この分野では、体の全部ないし部分の形態を詳細に観察することが目標でした。

 

 解剖学は、20世紀中盤までは、花形の分野であったようですが――

 その後、医学実験の技術などの向上に伴い、体の形態だけでなく、体の機能――つまりは体の仕組み――を直に調べることができるようになったり、体の情報――遺伝情報など――を詳細に把握できるようになったりしたため――

 遅くとも20世紀終盤までには、医学の最前線ではなくなりました。

 

   *

 

 父は、解剖学者でした。

 1960年代に解剖学を志したそうです。

 

 僕が父の「解剖学者」という肩書を本当の意味で理解したのは、1990年代でした。

 僕は20代でした。 

 

 その頃、解剖学は、医学の研究分野としては、すでに形骸化していました。

 例えば、多くの解剖学の研究室で、解剖学の研究が行われなくなり、広い意味での生理学の研究が行われるようになっていました。

 

 そうした状況を指摘した上で――

 僕は父に訊いたことがあります。

 ――なぜ解剖学を志したのか。

 と――

 ――こうなることは、1960年代には、わからなかったのか。

 と――

 

 父は答えました。

 ――何となくわかってはいた。が、当時は形態にしか興味をもてなかった。

 

 それから5年くらいが経ち――

 再び同じ内容で父と話をしたときに、父はいいました。

 ――実は、ずっと機能に興味があったのだ。

 と――

 

 僕は混乱しました。

 父の真意がわからなかったのです。

 

 解剖学者になったことを後悔しているのかと思いました。

 

 たぶん、そうではありません。

 

 父は、

 ――解剖から生理へ

 の発想に惹かれたのです。

 

 つまり――

 父のいう「形態にしか興味をもてなかった」は、

 ――もともとヒトの体の機能に興味があったのだが、ひとまず機能のことは措いて、ヒトの体の形態を観察し、その観察の結果から機能を推し量る、という発想を採りたいと思った。それ以外の発想は、自分には、しっくりとこなかった。

 という意味であった、と――

 今の僕は考えています。

 

 ことの真偽は確かめられません。

 

 その話をした数か月後に――

 父は亡くなっています。