マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

最終的な興味は「生理」に向かう

 ――病理から生理へ

 や、

 ――解剖から生理へ

 の発想について――

 きのうまでの『道草日記』で触れました。

 

 要するに――

 最終的な興味は、

 ――生理

 に向かう――

 ということです。

 

 ――生理

 とは、つまり、

 ――正常な体の仕組み

 です。

 

 あるいは、

 ――「『生きている』とは、どういうことか」の問いへの答え

 といってもよいでしょう。

 

 ――生きている

 とは、どういうことか――

 現代医学・現代自然科学は、まだ十分な答えを用意できていません。

 

 ――だいたい、こんな感じ――

 という答えしか用意できていない――

 例えば、

 ――「エネルギーが構造を成して散逸している」ということ

 や、

 ――「自我によって“意識の働き”が感じとられる」ということ

 といった答えのように――

 

 ひどく曖昧な答えしか用意できていないからこそ――

 多くの人々の興味が「生理」に集まるのです。

 

 ――病理

 や、

 ――解剖

 に比べると、

 ――生理

 は曖昧です。

 

 それゆえにこそ、

 ――病理から生理へ

 であり、

 ――解剖から生理へ

 でありうるのです。