大学に入って1、2年の頃――
――正月くらいは家にいて欲しい。
と約束させられたことがありました。
母にです。
大学は仙台でした。家は岡山です。
普通にしていれば、親子が顔を合わせる機会は、まずありません。
――年に一度は親子で過ごす時間が欲しい。
ということだったと思います。
が、僕は、その約束を守りませんでした。
家が遠いのです。仙台から岡山です。
おまけに、正月は列車も飛行機も混みます。
それでも――
父が亡くなる直前の数年は頑張って帰省しました。
しんどかった――
帰省しなかったもう一つの理由はアルバイトです。
大学1年のときから、学習塾で働いていました。
受験生に正月はありません。31日まで授業を延ばしたり、3日から補習を組んだりしなければなりません。
――そんな塾はおかしい。
と、母はいいましたが、僕はそうは思いませんでした。
正月返上の受験生を相手にする以上、正月がないのは当然です。それが嫌なら、商売を変えなければならない。
今は病院で働いています。
非常勤の身です。が、こちらも正月はありません。入院の患者さんは正月もいます。
――そんな病院はおかしい。
と、母はいいます。
たしかに、無理をすれば休めないこともないのですが、正月に同僚が働いている事実は動きません。
無理をして休む気にはならないのです。
今は、こう考えています。
母が年に1度は帰って来いというのは間違っていない。親子の縁は切っても切れませんから。
ただ、それを正月に限定するのは、おかしい――
それで、今は盆暮れを外し、年に一度ほど帰省するようにしています。
最近では、年に一度では足りないようです。
三度でも四度でも帰ってきて欲しいらしい――
母も歳です。いつどうなってもおかしくはない。
だから、それくらい帰ってもいいのですが……。
要するに――
僕は母に会いたくないのです。
母と僕とでは、価値観が違う。ときに親子であることを疑うくらいです。
どちらの価値観が正しいかとか、そういうことではありません。
親子の価値観が食い違っているところに問題があるのです。
僕だけに責任があるとは思っていません。
親子関係は一人で作られるものではない――
が、僕の親不孝は否定しません。
それも僕の人格の一部なのだと、今は思うようにしています。