マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

高校教育に重要なこと

 9回無死2塁から3塁線に送りバントを決められる高校生も――
 動く斜面台を転がる小球の運動方程式を立てられる高校生も――
 どちらも、高校生としては、実に見事な技術をもっているのだが――

 世間では、概して――
 運動方程式を立てられる高校生のほうが、送りバントを決められる高校生よりも、うさん臭い目でみられるようである。

 この違いは、どこ依るのかといえば――

 運動方程式を立てることは、将来の自分の身分保証につながるのに対し――
 送りバントを決めることは、現在のチーム力の向上につながるからであろう。

 物理の勉強は、いわゆる理系難関学部の大学入試に有利に働く。

 運動方程式などの古典力学の思想に精通するなどして、見事、名門大学の入学試験に合格すれば――
 そこでの人脈を活かすことで――それが良いか悪いかは別にして――将来の立身出世も現実味を帯びてくる。

 一方、野球の練習は、将来の立身出世には、ほとんど何の役にも立たないといってよい。

 そもそも、将来、プロ野球で活躍できるような才能は、ほんの一部であり――
 しかも、そのような高校生は、高校野球にいる間は、送りバントなどをやらされたりはしない。

 そのような、現在のチーム力の向上に熱心になる高校生を褒めそやし、自分の将来の身分保証に熱心になる高校生を潔しとしない風潮は――
 学習塾の講師として、高校教育に曲がりなりにも携わる身としては――
 かなり歯がゆい感じがする。

 たしかに、自分の将来の身分保証だけにしか熱意をもたぬ者は、ある程度は軽蔑されてもよいと思うが――
 そのような身分保証はかえりみず、ただひたすら、現在のチーム力の向上だけにしか熱意をもたぬ者も、同じ理由で軽蔑されてよいと思う。

 罪があるとするならば――
 高校生にあるのではない。

 高校教育に携わる者にある。

 たしかに、クラブ活動による人間教育も無価値ではない。

 が――
 いささか重視しすぎているのではあるまいか。

 バントの絶妙のバット・コントロールを身に付けさせる暇があったら――
 運動方程式を立てることで現象の未来を予測する面白さに気付かせてあげるべきであろう。

 教え子の将来を真剣に考えれば――
 そんなに奇異な結論ではないと思う。