戦記物の書籍をよんでいると――
否が応でも認めざるをえない事実にいきあたる。
それは、
――ヒトの体には、戦争の雰囲気を自然に欲してしまう情動の基盤が、遺伝子レベルで組み込まれている。
ということだ。
戦記物の書籍に描かれる兵士たちの熱い息づかい――
それを憧憬の念で描く筆者たちの熱い筆遣い――
そして――
それを読み、多少なりとも心を熱くさせる読者たち――
かくいう僕も――
そうした読者の一人である。
だから、
――遺伝子レベルで組み込まれている。
というのは――
自分の体験を基にする率直な見解だ。
人は、戦争の雰囲気を適度に吸入することで――
生きることの苦しみに耐えているのではないか。
戦争の雰囲気というものは――
人が、生の苦しみに耐えるための麻薬様鎮静剤なのではないか。
そもそも、ヒトの体は――
そうした鎮静剤を吸入せずには生きられぬように設計されているのではないか。
もちろん、
――戦争の雰囲気を欲する情動
だけでは、今日の華麗な文明社会を築き上げることはできなかったはずである。
そうした情動とは正反対の情動も、組み込まれているに違いない。
そちらのほうの情動が――
戦争の雰囲気を欲する一方で、戦争の現実を忌避する情動も生み出している。
重要なのは「戦争の雰囲気」であって「戦争そのもの」ではない。
「戦争そのもの」に触れた人々の多くは、戦争の現実を忌避する。
「戦争そのもの」に触れることで、そうした情動回路もまた、自然と作動するようにできているのかもしれない。
救いがあるとすれば――
まずは、その辺であろう。