――国際結婚の難しさについて、どう考える?
と訊かれたら、
――そういう難しさは存在しない。
と答えることにしています。
――存在するのは言語の障壁の難しさである。
と――
言語というのは、もちろん、日本語や英語のことですが――
言語の障壁というのは、何も日本語と英語との間の障壁ばかりを指すのではありません。
日本語の内部にも――そして、おそらく英語の内部にも――言語の障壁はあるのです。
同じ日本語を喋る人であっても、ゼンゼンわからないことをいってくる人がいます。
あるいは、こちらのいうことがゼンゼン通じない――
たぶん、背景にある思考傾向や知識体系や感性様式の交わりが少ししかないと、そういうことになるのです。
これは、あちこちで書いていることですが――
日本語を喋っているのに、まったく親しみの感じられない人がいる一方で――
英語を喋っているのに、ものすごく親しみの感じられる人がいる――
思考傾向や知識体系や感性様式の異同が、その分かれ目になっているのだと思います。
だから――
国際結婚なんてカンタンだろうと思いますよ。
互いの思考傾向や知識体系や感性様式の交わりが十分に広ければ――
なんてことはないはずです。
より正確には――
ふつうの結婚が、そんなにカンタンではないということですね。
同じ日本語を喋る者どうしであったとしても――
思考傾向や知識体系や感性様式が異なっていれば、国際結婚を遥かに凌駕する難しさに直面するに違いない、ということです。