マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

あのときの断絶を今となっては容易に思い返せない

 仙台市街の自宅の近くを歩いていると――
 今でも、時々わからなくなります。

(なぜ、あのとき、ここを別世界と思ったのか)
 と――

「あのとき」というのは、去年3月の東日本大震災のときです。

 あのとき――
 僕は、たしかに、自宅の近くが別世界に感じられたのです。

 自宅の近くだけではありません。
 仙台駅の周辺やアーケード街の道すがら――

(なんだ、ここは?)

 それは――
 一言でいえば、

 ――強い違和感

 でした。

 ファンタジーの物語などで、主人公が異世界に連れ去られるお話がありますよね。
 ちょうど、そんな感じです。

(どこか違う世界に連れ去られたか)
 と――

 それは――
 当然といえば、当然のことでした。

 目につくコンビニエンスストアは全て閉ざされている――
 しかも、大きな窓には段ボールや古新聞などが張りめぐらされている――

 めぼしい飲食店も閉ざされていて――
 扉には、

 ――ガスが止まっているので営業できません。

 の文字――
 でも、なぜか、

 ――牛タン弁当! 牛タン弁当はいかがですか!

 の声――
 露店で牛タン弁当が売りに出されていて、ふだんは店内にこもっているであろう店員さんたちが、声を振り絞って客の呼び込み――
 牛タンは炭で焼くので、ガスが止まっていても大丈夫なのだとか――

 そんな街の風景は、震災前には想像したこともなかったので――
「別世界」と感じられたことは無理からぬことでした。

 やがて、ガスは復旧し――
 コンビニエンスストアも飲食店も本格的な営業を再開し――
 しだいに震災前の街の様相が取り戻されていったのですが――

 ここにきて奇妙なのは――
 今の街並みと震災前の街並みとの間に、確たる連続性が感じられることなのです。

 例えば、2011年2月の街並みと2012年10月の街並みとは、完全につながっているように感じられる――
 実際には、2011年3月中旬~4月中旬に明確な断絶が存在するはずなのに――

 いいかえれば――
 震災後の断絶がウソのようなのですね。

 まるで、実際には起きなかった出来事のよう――

 だからこそ――
 思うのです。

 ――なぜ、あのとき、ここを別世界と思ったのか。

 と――

 もちろん――
 震災によって、街の様相が様変わりしていたのですから――
 当時の僕が「別世界」を感じていたのは、至極当然のことだとわかっていても――
 それでもなお、

 ――なぜ、あのとき――

 と訝ってしまうのです。

 それは――
 あのときの断絶を今となっては容易に思い返せない自分自身への――
 懐疑の情かもしれません。