マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「4年に1度」の残酷

 昨今のサッカーワールド・カップの報道はもちろんのこと――
 夏季・冬季のオリンピックの報道などをみていて――
 いつも思うことは、
 
 ――「4年に1度」の残酷
 
 です。
 
 4年の1度の大会で、思う存分、自力を発揮できた選手はよいのですが――
 
 発揮できなかった選手にとっては――
 この“「4年に1度」の残酷”が重く、のしかかります。
 
 もちろん、その残酷の根本は、
 
 ――4年は長い。
 
 ということに尽きるのですが――
 
 では、なぜ4年は長いのかといえば――
 それは、
 
 ――人の一生に比して長いから……。
 
 ですよね。
 
 現代日本の平気寿命は、ざっと80年ですが――
 もし、この「80年」が「800年」であったなら――
 
 当然のことながら、“「4年に1度」の残酷”は雲散霧消します。
 
      *
 
 戦国末期の武将・織田信長は――
 舞(幸若舞)の『敦盛』の一節を好んでいたといわれます。
 
 ――人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け 滅せぬもののあるべきか
 
 有名な一節ですね。
 
 現代語訳をすれば、
 
 ――人の世は50年、化天では夢や幻のように短時間である。いったん命を授かって不死身である者がいようか。
 
 といった感じでしょうか。
 
「人間」というのは、「じんかん」と読み、「人の世」くらいの意味だそうです。
 
 また、「化天」というのは、「けてん」と読み――
 仏教でいう天上界において、いまだ欲望の存在する6つの天のうち、上から2番目の天を指すのだそうで――
 その化天では一昼夜が人間界の800年に相当し、化天の住人の寿命は8000歳とされているそうです。
 
 ただし、『信長公記』という史書によれば――
 実際に信長が口ずさんでいた一節では、「化天」ではなく「下天」だそうです。
 
「下天」は「げてん」と読み――
「化天」の4つ下(いちばん下)の天を指すのだそうで――
 下天では一昼夜は人間界の50年に相当し、下天の住人の寿命は500歳だとされているそうです。
 
 まあ――
 何はともあれ――
 
 寿命が500年とか8000年とかであれば――
「4年に1度」というのは、なんということはありません。
 
 寿命が80年だからこそ――
「4年に1度」は残酷なのです。