マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

中年期以降も議論を楽しむために

 何か物事について質問をするときに――
 
 その背景をよく知らないからこそ、本質を突いた質問ができる――
 ということがあります。
 
 背景を知りすぎていると――
 逆に枝葉末節の質問しかできなくなる――
 
 もちろん――
 背景を何も知らないと――
 なんら意味のない質問しかできない――
 
 ――適度に知らない。
 
 ということが大切なのですね。
 
 若年期は――
 万事について「適度に知らない」の状態ですから――
 案外あっさり本質を突いた質問ができるものです。
 
 が――
 中年期にさしかかってくると――
 そうはいっていられない――その分、色々な知識や理解を積み重ねてきてしまっていますから――
 
 この「適度に知らない」の状態を獲得するために――
 中年期以降、人は、
 
 ――自分の忘却機能
 
 を存分に発揮したらよい、と――
 僕は思っています。
 
「忘却機能」というのは、ちょっと大げさな表現ですね(苦笑
 
 要するに――
 自分が今日まで積み重ねてきた知識や理解の細部を忘れておき――
 かつ、そのことを積極的に活用しようとすることです。
 
 例えば――
 何か質問をするときに、
 
 ――以前、こんな話をきいたことがあったと思うんですが、それとこの問題とは何か関係しています?
 
 といって切り出しみる――
 あるいは、
 
 ――たしか、こういう考え方が一昔前ハヤってたと思うんですけど、この問題にも適用できませんか?
 
 といって切り出してみる――
 
 もちろん――
「こんな話」や「こういう考え方」の輪郭や方向性が文脈に合致していなければ――
 ただの的外れで終わるのですが――
 
 その時はその時――
 笑って誤魔化せばよい――
 
 これ――
 意外に有効です。
 
 少なくとも僕個人の経験を振り返ってみるに――
 こうした切り出し方で質問をしたり、されたりした時には――
 その後、本格的な議論に発展していくことが多かったように思います。
 
 それだけ、物事の本質を突いた質問になっていたのでしょう。
 
 もし、そういう時に――
「こんな話」や「こういう考え方」の内容の正確性や厳密性に拘って、
 
 ――ちゃんと思い出せないから、やめとこう。
 
 と尻込みをしていたら――
 どうなるでしょうか。
 
 その後の「本格的な議論」は、決して日の目をみないのです。
 
 そうやって――
 中年期以降、議論が心から楽しめなくなっている人を――
 僕は何人か知っています。