マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人工物は自然物の泡沫

 人工物も、広い意味では自然の一部であり、自然物である、という考え方に――
 十代の終わり頃――
 とりつかれたことがあります。

 人工物というのは人が作り出したものです。

 が――
 その“人”は、

 ――「ヒト」という生物種の一つ

 であり――
 生物種に分類されうる存在は、あくまでも生物であり、自然の一部であり、自然物である――

 ヒトも自然物である以上――
 ヒトが作り出す人工物は、当然ながら、広い意味では人工物である――

 そういう考え方です。

 極論すれば――
 人がダムを作って川をせき止めるのと――
 地震が土砂崩れを起こして川をせき止めるのと――
 の間に、本質的な違いはない――
 ということですね。

 ……

 ……

 もちろん――

 こうした考え方を採れば――
「人工物」という概念ないし言葉それ自体が不要となり――

 したがって――
 人工物と自然物とを区別する意義はなくなり――
 ひいては「自然物」という概念ないし言葉それ自体も不要となって――

 ついには――
 こうした議論それ自体が意味を成さなくなるわけですが――

 それでも――

 すでに四十路に入ったマル太が、十代の終わり頃のマル太に代わって――
 この考え方を補足して説くならば――

 以下のようになるでしょう。

 すなわち――
 人工物は「自然物」という名の“液”が生み出す“気泡”のようなものである――
 と――

 気体が液体と異なるように――
 人工物は自然物とは異なるが――
 人工物は自然物の一部が“気化”して生じたものであるという意味では――
 同根である、と――

 つまり、

 ――人工物は自然物に浮かぶ泡沫(うたかた)である。

 と――