――アヘン戦争の際に、林(りん)則徐(そくじょ)と道光(どうこう)帝とが出会い、思いがけず、気が合ってしまったことは、中国近現代史にとって、最初で最大の不幸ではなかったか。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
が――
実は、
――気が合う。
と思ったのは道光帝だけで――
林則徐は、当初から醒めていた可能性もある、と――
僕は感じています。
つまり――
道光帝のほうは大喜びで林則徐を抜擢したけれども――
林則徐のほうは仕方なく道光帝の任命に従っただけ――
ということです。
精査・熟慮の上で決断を行うという資質が、林則徐にはあったが、道光帝にはなかった――
ということは、12月1日の『道草日記』で述べた通りです。
2人の結論は、
――アヘンの完全根絶
で一致していました――それは間違いありません。
が、おそらく――
林則徐の結論は、
――アヘンの部分容認
をも十分に検討した結果であり――
道光帝の結論は、
――アヘンの完全根絶
に不用意に飛びついた結果です。
つまり――
道光帝の結論は、林則徐の結論の、
――周回遅れ
であった可能性が高いのです。
その“周回遅れ”に――
道光帝は気づかなかったでしょう。
が――
林則徐は気づいたはずです。
すぐには気づけなかったかもしれませんが――
だんだんと気づいていったことでしょう。
おとといの『道草日記』で述べたように――
2人は、いわゆるアヘン問題について、何回も論じ合っています。
が――
君主と臣下との関係ですから、もとより対等に論じ合えたはずはありません。
おそらく、道光帝が質問を差し向け、それに林則徐が回答を差し上げるといった形式の対話であったと考えられます。
つまり、道光帝のほうは、自分が疑問に思ったことは何でも確かめられましたが、林則徐のほうは、おそらく、ほとんど何も確かめられなかった、ということです。
林則徐としては、下される質問の背景を読み込むことで、道光帝の胸中を察するよりほかはなかったでしょう。
このような非対等の議論を経て――
道光帝が林則徐に、
――片思い
をした――
というのが、アヘン戦争の発火点の真相のような気がします。
もし、2人が対等に議論をしていたなら――
道光帝は早々と林則徐の抜擢を見送り、その結果、アヘン戦争は起こらなかったように思います。
例えば、道光帝が、林則徐から、
――アヘンの完全根絶に踏み切ることで、外国人たちが怒り狂って都へ攻め上ってくる場合に、どこに防衛線をお引きになりますか。
と質されれば――
道光帝の“片思い”は一気に吹き飛んだことでしょう。
“片思い”が吹き飛べば、抜擢もなかったでしょう。