――アヘン戦争のときに、道光(どうこう)帝は林(りん)則徐(そくじょ)に“片思い”をしていた。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
そして――
その“片思い”は――
もし、林則徐が、道光帝に、
――アヘンの完全根絶に踏み切ることで、外国人たちが怒り狂って都へ攻め上ってくる場合に、どこに防衛線をお引きになりますか。
と質していれば、たちどころに吹き飛んでいたであろう――
とも述べました。
道光帝は、林則徐に対し、
――アヘンは完全に根絶せよ。ただし、外国との紛争は絶対に起こすな。
といった無理難題を言外に押し付けていたと考えられます。
林則徐にとっては、アヘンの完全根絶に踏み切れば、イギリスが黙っていないことは、わかりきったことでしたが――
おそらく、道光帝は、わかっていなかったか――わかっていても、わかっていないふりをしていたか――なのです。
要するに――
そこまで考えてしまうと、自分の頭脳では処理をしきれなくなってしまうことが、意識的にせよ無意識的にせよ、わかっていたために――
道光帝は、そこまでは考えないようにしていた――
ということではなかったか――
ということです。
――無責任
といえば、無責任なのですが――
あえて突き放したいい方をすれば、
――能力的に、そこまでの君主であった。
ということでしょう。
いずれにせよ――
道光帝が言外に、
――外国との紛争は絶対に起こすな。
と求めていることを――
林則徐は十分に感じとっていたと考えられます。
よって――
林則徐は、アヘンの完全根絶に踏み切った結果、イギリスが戦争を仕かけてくる場合の防衛線を、既存の国境線――つまり、海岸線――に定めざるをえなかったはずです。
その結果――
林則徐は、文官でありながら、任地・広東における海軍の指揮権を手にすることになった、と――
考えられます。
伝わるところによると――
10万人以上の兵を集め、イギリス軍の侵攻に備えていたといわれます。
もちろん――
有能な武官が支えていたことは間違いありません。
アヘン戦争の物語などで壮烈な戦死が描かれた提督・関(かん)天培(てんばい)などは――
その代表格でしょう。
林則徐は、武官からも心酔をされた稀有な文官でした。