――アヘン戦争のとき、林(りん)則徐(そくじょ)が、もし、皇朝・清の君主であったならば、その後の歴史は少し変わっていたであろう。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
具体的に――
どのように変わっていたか――
……
……
皇朝として、アヘンの完全根絶に踏み切ることには変わりはなかったでしょう。
林則徐は、アヘンのことを心の底から憎んでいたといいます。
一説には、林則徐の弟がアヘンの常習者になって早死にをしていました。
――アヘンを、部分的にせよ認めるなど、とんでもない。
との思いが、政策の立案の以前に固まっていたと考えられます。
一方――
ときの君主・道光(どうこう)帝も、思いは同じでした。
都にも、アヘンの常習者は数多くいて、皇族の中にもいたといわれます。
何を隠そう、道光帝自身、常習者になりかけたそうです。
にもかかわらず、アヘンをきっぱりとやめることができたといいます。
アヘンに対する個人的な思いは、林則徐も道光帝も、ほとんど一緒です。
ということは――
仮に、ときの君主が林則徐であったとしても、その点に変わりはなかったはずです。
林則徐と道光帝とで、違いは何か――
それは、
――物事を広く調べ、深く考え、断を下し、いったん断を下したら、決して迷わない。
という資質の有無です。
それが林則徐にはあり、道光帝にはありませんでした。
もし、林則徐が道光帝の立場にあったなら、
――アヘンの完全根絶のために何が必要か。
を徹底的に調べ、考え――
その結果、
――イギリスに対し、アヘンの完全根絶を求める一方、自由で対等な貿易――中華思想(華夷思想)に縛られた朝貢貿易ではない形式の貿易――を認める。
との断を下したように思います。
道光帝との最大の違いは、
――今、イギリスと戦っても勝ち目はない。
との認識をもっていたであろうことです。
それは――
おそらくは、皇朝の高官たちについても同様であったと、僕は考えます。
教養のある高官たちは皆、イギリスと戦っても負けることを何となくわかっていたと思います。
21世紀の僕らが、地球に来られる科学技術力を備えた異星人と戦っても負けることが何となくわかるのと同じです――おとといの『道草日記』で述べた通りです。
が――
道光帝は、わかっていなかったようです。
いえ――
道光帝も、実は、わかっていたのかもしれません。
アヘン戦争の5年ほど前に、イギリスの偵察用の軍艦2隻ほどが、外交的な威圧のために、中国側に砲撃を行ったことがありました。
当然、中国側も応戦をしたのですが、ろくな抵抗ができなかったようです。
その報せは内陸の都にも届けられ、道光帝も知るところとなりました。
宮廷全体が衝撃を受けたと伝えられます。
おそらくは、道光帝も含め、皆、内心では、
――やはり――
と思ったのかもしれません。
が――
それを表立っては口にできなかった――
建前が邪魔をしたのです。
という名の建前です。
その建前を――
当時、敢然と取り下げることのできた唯一の人物――
それが皇朝の君主・道光帝です。
もし、林則徐が君主であれば、取り下げたことでしょう。
林則徐には、精査・熟慮の上で決断を行うという資質がありました。
必要性が明確であれば、たとえ激しい苦痛を伴ってでも、無用どころか有害でさえある建前を取り下げることに、躊躇はしなかったはずです。
が、道光帝は躊躇をした――
精査・熟慮の上で決断を行うという資質に欠けていたからです。