5年前に亡くなった父は――
家でTVをみていて、おかしなところで笑う人だった。
例えば、宇宙活劇の娯楽映画をみていて、巨大な珍獣同士を格闘させるシーンが出てきたところで、笑ったことがある。
正確には、格闘に敗れて殺された珍獣の飼い主が、その死を悼んで泣いているシーンである。
――ケッケッケッケ
と声に出して笑っていた。
(なんで、こんなことで笑うんだろう?)
と、幼い僕は訝ったりしたものだ。
今は、わかる。
父は、飼い主の涙を笑ったのではない。
宇宙活劇の中で珍獣同士を格闘させ、敗れた珍獣の飼い主に涙を流させるイタズラに、笑ったのである。
制作者のユーモアを敏感に感じとった、ということだ。
もちろん――
真実は、わからぬ。
その娯楽映画の制作者にユーモアのつもりがあったかどうかは、わからぬ。
何か別の意図があったかもしれぬ。
物語が、紡ぎ手とは異なる思惑で了解されることなど、珍しくもない。
父が制作者の意図を正確に汲めていた保証はない。
ただ――
父は、そのように了解し、笑ったというだけの話である。
父は、そういうユーモアを愛した人だった。