マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

帰るべき家を失う

 ――大人になる。

 とは、帰るべき家を失うことだと思っている。
 幼心に感じた家の安らぎを、捨て去ることだと思っている。

 僕は18で家を出た。
 家を出るまでは、よく、

 ――家に帰ったら――

 と呟いていた。
 例えば、学校で何か思わしくないことがあると、

 ――家に帰ったらアレをしよう、コレをしよう――

 と呟いていた。
 そうやって寛(くつろ)ぎ、安らぎを手に入れようとしていた。

 家を出て、しばらくが経っても――
 僕は、

 ――家に帰ったら――

 と呟いていた。
 その頃の僕は、家に帰ろうと思えば、まだ帰れたのである。
 家を出て最初の2年間は、大学受験のための予備校暮らしだった。家を出る必然に乏しい生活だった。

 やがて、大学に入り、大学を出て、大学院に進み、大学院を終える頃になると、さすがに、

 ――家に帰ったら――

 と呟くことはなくなった。

 が――
 それでも、たまに呟くことがあった。

 そして、苦笑した。
(家って、どこだよ?)

 この苦笑が真の苦笑になったとき――
 僕は大人になったといえるのかもしれない。

 大人には家など存在しない。

 こう書くと、怪訝な顔をする人がある。
 僕が独身なのを見越し、

 ――結婚すれば見方が変わるよ。

 と忠告する人もある。

 はたして、そうか?

 将来、仮に結婚し、家庭を築き、子供をもうけるにせよ――
 そこが家になることはありえまい。

 そこを家と思うのは愚かなことだ。
 配偶者を親とみるくらいに愚かだ。

 百歩譲って家だとしても、子供の頃に親しんだ「帰るべき家」ではない。
 それ以外の何か、である。