――僕に官能小説は無理だと思っている。
などと書くと、
――何いってんの!
と糾弾されそうだ。
僕の本性を知っている人に、である。
たしかに、僕の本性は、あまり上品ではない。自分の小説に猥褻(わいせつ)を書き込むくらいは平気である。
むしろ、喜んでやってしまう。
が、官能小説は無理だ。
ちょっと手を出す気にはなれない。
なぜか。
官能小説を本気でよいと思ったことがないからである。
小説は猥褻を味わう媒体としては物足りない。
小説は、書く方にとっても読む方にとっても、極めて私秘的だ。そこに猥褻を安易に持ち込むと、つい猥褻が唯一の要素となってしまう。
そこが官能小説の難点だ。
誤解をしないで欲しい。
猥褻とは実に結構なものだと思っている。
他人に不快な思いをさせない限り、猥褻ほど繊細な娯楽はないと思っている。
が、猥褻が唯一の要素では、男心が萎えてしまう。
ジャガイモに塩を振っただけの食事に思えてしまうのである。
小説の中に、さり気なく猥褻を書き込むのがよい。
猥褻を前面に押し出すとき、小説の命が痩せ細る。