昨日の『道草日記』で、
――官能小説を読みたくなったら、自分で書いている。
と述べたが――
正確ではない。
なぜなら――
僕に官能小説は書けないからだ。
「官能小説が書けない」ということは――
実は、あちこちで述べている。
理由は、その都度、違っていたりする。
本当の理由は、自分でもわからない。
一応、誠実に答えるならば――
官能小説を書こうと思って、実際に書き始めてみても――
なぜか官能小説ではなくなってしまう――
ということである。
僕にとっては十分に官能的なのだが、周囲の評価は、そうではない――
そういうことである。
だからといって――
無理をして、いかにも官能的らしく書くとしたら――
たぶん、それは、僕にとっての官能小説ではなくなっている。
僕は、昨日の『道草日記』で、官能小説が苦手だと書いたが――
本当は――
世間にとっての官能小説が、僕にとっての官能小説ではない、というだけのことであろう。
男女に自分の服を脱がせない――
男女に閨の営みをやらせない――
男に「うお!」とか、いわせない――
女に「あん!」とか、いわせない――
そういう小説が――
僕にとっての官能小説である。
――じゃあ、どんなのがオマエにとっての官能小説だ?
と訊かれても、困る。
自分でも、よくわからない。
ただ、「うお!」といったり「あん!」といったりする官能小説には――
これといった官能を感じられないだけである。