マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

織田信長が好きではないけれど

 ――「織田信長のことが好きか嫌いか」と訊かれたら、たぶん「嫌い」と答える。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 そのように述べてから気づいたのですが――

 こういう述べ方だと――
 何だか酷く後ろ向きのコメントに感じられますね。

 ……

 ……

 実は――

 僕の真意は――
 もう少し複雑です。

 ……

 ……

 一般に、

 ――「好き」の対極は「嫌い」ではなく、「無関心」である。

 といわれます。

 つまり、

 ――「好き」や「嫌い」は、「大いに関心がある」という意味では同じである。

 ということです。

 ……

 ……

 僕にとって――
 織田信長は、たしかに、

 ――好き

 ではありません。

 では、

 ――無関心

 かというと――
 そうではない――

 明らかに――
 僕は、織田信長に対し、強い関心をもっています。

 そうすると――

 「好き」ではないのだから――
 理屈の上では、

 ――嫌い

 ということになってしまうのですね。

 ……

 ……

 たしかに――

 自分でも、
 (嫌いかもしれない)
 と思うところはあります。

 その理由は――
 きのうの『道草日記』で述べた通りです。

 (仮に酒を酌み交わしても、ぜんぜん面白くない人物だったろうな)
 と直感するからです。

 が――
 僕は、

 ――織田信長のことが嫌いだ!

 と明瞭に断言をすることには――
 ちょっと躊躇をします。

 織田信長の生き方には、
 (何ともいえない魅力がある)
 と思っています。

 日本の戦国期にあって――
 大真面目に、

 ――戦(いくさ)の世を終わらせる。

 と思い立ち――
 それを実行に移したこと――

 そして――
 実際に、“戦の世”を終わらせる手前までいったこと――

 そして――

 もし――
 織田信長が生まれてこなければ――

 その後の豊臣秀吉徳川家康も――
 たぶん、実際の史上のようには活きてこなかったこと――

 ……

 ……

 そのような意味で――

 僕は――
 織田信長に対し、とても無関心ではいられないのです。