マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「実は信長は女だったんだ!」と思わず信じてしまうような

 ――織田信長の生き方には、何ともいえない魅力がある。

 ということを――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 最大の魅力は、

 ――わかりづらさ

 だと思っています。

 自分に歯向かう者たちを残虐な皆殺しにしたかと思うと――
 家臣の家族らにも細やかな気遣いをみせる手紙を書く――

 般若のようでもあり――
 菩薩のようでもあり――

 (よくわからん)
 という寸評がピッタリの人物です。

 もう一つ例を挙げれば――

 織田信長は――
 自分の見解に尊大なまでの自信をもっていたといいます。

 一方で――
 自分に対する世間の評判を大いに気にしたともいいます。

 驕慢でもあり、臆病でもあったようです。

 ……

 ……

 織田信長の“わかりづらさ”は、

 ――類型化の困難性

 でしょう。

 ――○○のような人物である。

 と類型化をされた瞬間に、

 ――いや、違うらしい。

 と否定をされてしまう――
 そういう混沌が、織田信長の人物評にはついてまわります。

 極論をいえば、

 ――男性的

 とさえも、いえないのですね。

 史実をみれば――
 織田信長は、ふつうに男性であったはずですが――

 でも――
 そうとは思えないようなところが――
 織田信長にはあるのです。

 例えば、

 ――“戦(いくさ)の世”を本気で終わらせようとした。

 という性向は――
 僕には、明らかに、

 ――女性的

 に思えます。

 泰平の時代に世の中の頂点に立とうとするのは、

 ――男性的

 ですが――
 戦乱の時代に世の中を鎮静化しようとするのは――
 少なくとも、“男性的”ではありません。

 むしろ、

 ――いつまでも“戦の世”が続いてほしいものだ。

 と思うくらいのほうが“男性的”といえます。

 織田信長は――
 少なくとも“男性的”ではないのです。

 それゆえに――

 ある高名な作家さんが、

 ――織田信長は、実は女であった!

 との趣向で――
 歴史小説をお書きになっていたりします。

 織田信長の史実を多少なりとも知っている人は、
 (いやいや、それは……!)
 と、誰もが思うはずですが――

 でも――

 その小説を実際に読んでみると――

 もちろん――
 その作家さんの力量に起因するところも多いとは思いますが――

 妙な説得力が感じられるのです。

 (うん、そう! 実は信長は女だったんだ!)
 と思わず信じてしまうような説得力が、

 ――織田信長女説

 には感じられるのです。

 少なくとも――
 同じことを豊臣秀吉徳川家康で説いても――
 決して巧くはいきません。

 あるいは――
 聖徳太子源頼朝足利尊氏などで説いたとしても――
 たぶん巧くいかないでしょう。