マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

織田信長のことで強調したいこと

 織田信長の存在を――
 僕が初めて意識したのは――
 小学校の中学年の頃であったと記憶しております。

 同級生の男の子が、

 ――織田信長は、日本で初めて鉄砲を上手に使った人だ。

 といっているのを聞いて――

 (へえ、そんな人がいるんだ)
 と思ったのを覚えています。

 当時の僕は、

  鉄砲を上手に使った
  = 射撃の名人

 という理解でした。

 よって――
 織田信長のことを、

 ――とても腕のよい猟師

 くらいに思っていたのです。

 (いくら日本で最初に鉄砲を上手に使った人とはいえ、ただの猟師が歴史に名を残すことがあるんだ)
 などと思っていました。

 もちろん――
 その同級生の男の子がいっていたのは――
 いわゆる、

 ――長篠の戦いにおける織田勢・鉄砲三段撃ち

 のエピソードであったに違いありません。

 中学生くらいになって――
 ようやく、
 (ああ。織田信長の「鉄砲を上手に使った」って、三段撃ちのことだったんだ)
 と気づきましたが――

 当時、歴史物のTVドラマで、鉄砲に撃たれる騎馬武者たちの映像を痛々しくみていたこともあって――
 織田信長のイメージが、すこぶる悪くなりました。

 もちろん――
 織田信長にとっては心外な理由であったでしょう(笑

 高校生くらいになって――
 いわゆる“三段撃ち”の史実性が揺らいでいることや――
 その“三段撃ち”と長篠の戦いにおける織田信長の勝因とは無関係とされているらしいことから――
 織田信長のイメージが、僕の中で(笑)、徐々に回復していきました。

 この後――
 僕は、織田信長という歴史上の人物を、初めて真剣にとらえようとしました。

 当初は、

 ――進取の気性に富んだ革命的政治家であり、軍司令官であった。

 と理解していましたが――
 それだけでは、いわゆる本能寺の変の最期を巧く説明できません。

 今の僕は――
 3日前の『道草日記』などで述べているように、

 ――超現実主義者・超合理主義者

 と理解しています。

 強調したいのは、

 ――優れた現実主義者・合理主義者

 ではない――
 という点です。

 織田信長は――
 いわば現実主義者・合理主義者としては度が過ぎていたため――
 足元をすくわれて――
 あのような不本意な最期を迎えた――
 と、僕は理解しています。

 具体的には、

 ――人には感情があり、それゆえに、人は、ときに非合理的な行動をする。

 という現実を――
 不幸にして把握し損ねた、と――

 ……

 ……

 要するに――

 明智光秀の感情を――
 織田信長は、肝心な時に、つかめなかったのです。

 ……

 ……

 そのような――
 人の感情を取り巻く現実を――

 例えば、徳川家康などは、十分に把握していました。

 そのために――
 徳川家康は、いわゆる幕藩体制を構築し、その後260年にわたって維持することに成功した――
 と、僕は理解しています。