――女性の色気
に関わるケレン味に、僕は興味をもっている――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
逆に――
全く興味のないケレン味についても、少し述べましょう。
僕は、
――理性からの逸脱
に関わるケレン味には、ほとんど興味がありません。
例えば、
――人の激情ないし狂気
です。
ここでいう「理性」とは、厳密には、
――悟性
と呼ぶのがよい概念です。
――理解力・判断力
と、ほぼ同じです。
……
……
10年以上前のこと――
精神医療を主題に小説を書くことになりました。
担当をしてくれる予定であった編集者は、僕より二回りくらい年上の男性でした。
その男性から、
――精神科らしい狂気を描いてほしい。
と、いわれました。
具体例として、従来の物語――既存の小説やマンガ、映画、TVドラマなど――で描かれた典型的な精神科患者象が挙げられました。
その患者象は――
要するに、
――理性からの逸脱
を示していました。
問題であったのは――
その“理性からの逸脱”の仕方が、現実の患者象とは大きくズレていたことです。
たしか、
――鉄格子の中で獣じみた咆哮をあげているような患者
といった例示であったかと記憶をしております。
その編集者の男性は、文芸作品などの編集・出版が専門でした。
現実の精神医療は、ほとんど知らないようでした。
そのこと自体は責められるべきではありません。
致し方ないことです。
僕が困ったのは、
(そういうケレン味には、全く関心をもてないな)
と感じてしまったことでした。
それを正直に伝えるのが憚られたので――
そのときは何もいわず――
代わりに、自分が関心をもっているケレン味――女性の色気に関わるケレン味――を描き込み、その男性にみせたところ、
――いや、そういうのは要らない。
と、いわれました。
おそらく――
その男性は、僕のケレン味には全く関心をもてなかったのでしょう。
ケレン味は、多様であるがゆえに――
その趣向ないし嗜好の共有は非常に困難なのです。