マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「外連」や「ケレン味」は「“創作のバランス”の乱れ」に――

 ――創作のバランス

 について――

 きのうの『道草日記』で述べたのは――

 

 いわゆる、

 ――外連(けれん)

 や、

 ――ケレン味

 が、

 ――“創作のバランス”の乱れ

 に直結をしている、と――

 僕が思っているからです。

 

 ――直結をしている。

 が、いいすぎなら、

 ――通底をしている。

 と、いいかえましょう。

 

 つまり、

 ――“外連”や“ケレン味”の背景には、“創作のバランス”の乱れがある。

 ということです。

 

 あるいは、

 ――あえて“創作のバランス”を乱すことで、“外連”や“ケレン味”が生じる。

 といっても、よいのかもしれません。

 

 それは――

 本家本元の、

 ――歌舞伎の外連

 を考えてみると、何となくわかります。

 

 大がかりな舞台装置を用いた仕掛け物や――

 役者が一瞬で着替えてみせる早変わり――

 ワイヤーに吊るされて空中を舞う宙乗り――

 

 これらは――

 物語の筋を伝える上では、必ずしも必要な演出ではなく――

 むしろ――

 少なからず、

 ――創作のバランス

 を乱した結果の演出です。

 

 ――いや、そんな仕掛け、いらないし――

 

 ――そんなに早く衣装、変えなくていいし――

 

 ――別にワイヤーで吊るされなくても……――

 

 そういう突っ込み――あるいは、「指摘」――を可能にしているのは――

 それだけ、その演出の局面において、“創作のバランス”が乱れているから――

 ともいえます。

 

 逆にいうと――

 “創作のバランス”が整っていたら――

 そういう突っ込みは、なかなか成り立ちません。

 

 ……

 

 ……

 

 ――突っ込み

 で思いました。

 

 そういえば――

 漫才のボケやツッコミも、

 ――外連

 や、

 ――ケレン味

 と深く関わっているといえます。

 

 ……

 

 ……

 

 実は、

 ――ボケ

 は、

 ――外連

 ないし、

 ――ケレン味

 です。

 

 ――“創作のバランス”の乱れ

 です。

 

 その“乱れ”を直しているのが、

 ――ツッコミ

 です。

 

 漫才で僕らが味わっているのは、

 ――外連

 や、

 ――ケレン味

 の断続的な出現である――

 

 少なくとも僕は――

 そう思っています。