マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「亡くなった人に語らせる」の外連

 ――亡くなった人に語らせる。

 という演出について――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そのような演出は――

 やり方を間違えなければ、十分に人の心を動かしうる、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ――やり方を間違える。

 とは、どういうことでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 色々な間違え方があると思いますが――

 

 真っ先に思い浮かぶのは、

 ――生きている者の利己主義が感じられてしまう演出

 です。

 

 例えば――

 亡くなった人が、まだ生きている誰かの弁護や釈明をするとか――

 

 ……

 

 ……

 

 そうした演出は――

 その誰かの弁護や釈明が、どんなに正当であったとしても――

 おそらく、共感を得ることはありません。

 

 古来、

 ――死人に口なし

 といいます。

 

 亡くなった人は、本来、いかなる発言もできないのです。

 

 それなのに――

 亡くなった人の発言を、まだ生きている者が騙る、というようなことは、

 ――厳に慎まねばならない。

 というのが、

 ――人の世の礼である。

 と、されてきました。

 

 その意味で、

 ――亡くなった人に語らせる。

 という演出は礼を欠いています。

 

 その欠礼を巧みに誤魔化して、

 ――亡くなった人は、たぶん本当は、こう語りたがっているんですよ。

 とハッタリをきかせることで――

 外連が成立をする――ケレン味への昇華がなされる――

 

 それが、

 ――亡くなった人に語らせる。

 という演出の概要です。

 

 もちろん――

 そこには、外連やケレン味のもつ危うさが同居をしています。

 

 ……

 

 ……

 

 ――亡くなった人に語らせる。

 という演出に成功をした例は決して少なくはないと思いますが――

 いずれの例においても、外連やケレン味の危うさには十分な配慮がなされていたはずです。