マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

『Do not stand at my grave and weep』は提案

 ――亡くなった人に語らせる。

 という演出は――

 それが、まだ生きている誰かの弁護や釈明ならば――

 幅広く共感をされることはない――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 まだ生きている誰かの弁護や釈明がダメならば――

 いったい何がよいというのでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 提案ならば、よいようです。

 

 ……

 

 ……

 

 英語圏に、

 ――Do not stand at my grave and weep

 と題される詩が伝わっています。

 

 1932年頃にアメリカで書かれたとされる詩で――

 作者は、

 ――Mary Frye(メアリー・フライ

 という名の20代後半の女性であったようです。

 

 同居をしていたドイツ系ユダヤ人の女性がいて――

 その母親がドイツで亡くなったそうです。

 

 当時のドイツは反ユダヤ主義の風潮が強く――

 そう簡単には行けなかったようです。

 

 同居中の女性が悲嘆にくれるのをみて――

 メアリー・フライは詩を書きました。

 

 それが、

 ――Do not stand at my grave and weep

 です。

 

 直訳をすると、

 ――私の墓の前に立って泣くことはしないで――

 となります。

 

 題名の「Do not stand at my grave and weep」は詩の書き出しです。

 この後、

 ――I am not there, I do not sleep.  I am in a thousand winds that blow――

 と続きます。

 直訳をすると、

 ――私は、そこにはいない、眠っていない。千の風になって吹いている。

 となります。

 

 この詩は、有名なアメリカ人TVプロデューサーの方によって1980年代に日本語圏に伝わり、広まりました。

 2001年には、高名な日本人の作家さんによって翻訳がなされ、旋律がつけられ、歌になりました。

 その後、その歌は人知れず広まり――

 やがて、何人ものプロの歌手に歌われるようになって――

 やがて、ミリオン・セラーのヒット・ナンバーとなります。

 

 ご存じの方も多いでしょう。

 

 この詩は、弁護でも釈明でもありません。

 

 提案です。

 

 亡くなった人は、墓の中にいるのではなく――

 例えば、風になって辺りを吹いていると考えてみてはどうか――

 

 そういう内容の提案です。

 

 (だから、多くの人々の共感を得られたのだ)

 と――

 僕は思っています。