先ほど、中学の理科の教科書をみていたら、
――ドルトン
や、
――アボガドロ
といった科学者たちの名前が載っていた。
ちょっと驚いた。
教科書が難化していると、いえなくもないからである。
易化することはあっても難化することはない――それが教科書だと思っていた。
僕が中学生だった20年前は、ドルトンやアボガドロといった科学者たちのことは、教科書には載っていなかったように記憶している。
資料集の類いには載っていても――
ドルトンは原子説を唱え、アボガドロは分子説を唱えた。
ともに19世紀初頭の科学者である。
原子も分子も、今日の科学では当たり前の概念だ。
が、当時は画期的なアイディアだったに違いない。
原子説も分子説も、当時、知られていた事実だけから導き出すのは、結構、大変である。
が、原子や分子の概念を理解した上で、これら学説の概略に触れると、
――アホか!
と、いいたくなってしまう。
そこが恐い。
それにしても――
中学の教師は、どこまで、きちんと教えているのだろう?
教科書の本文にドルトンやアボガドロの名前が載っているのだから、少なくとも二人の業績の意義は正確に伝える義務がある。
が、それら意義を、中学生に正確に伝えるのは、並み大抵のことではない。
かなり優秀と信じられる理系の大学生でも、相当に困るであろう。
もちろん――
中学の教師が、こうした教科書を扱うことで学問的に逞しくなることは、良いことだ。
歓迎したい。