マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

7年目の壁

 何事にも7年目の壁がある、というような話を――
 ある学者さんの対談記事で知った。

 数年前のことだ。

 記憶が頼りの言及なので、学者さんの名前は明かさないが――
 僕が尊敬している学者さんの一人である。

 5年ではない――
 10年でもない――
 やはり、7年なのである。

 僕は、小説を書くようになったのは、8歳のときであった。
 物を教えるようになったのは、19歳のときである。

 それらの7年後というと――
 15歳と26歳――である。

 いずれも、壁を突破した実感があった。

 小説についていえば――
 22歳で、もう一度、転機があった。

 29歳でも転機はあった。

 だから――
 次の転機は、36歳のときにくる――であろう。

 小説書きの転機とは――
 僕の場合は――
 長編小説の構想が浮かぶときである。

 本サイトに絡めていえば――
 式部たかしの名前で『イフリディーティ・サーガ』という作品群を掲載しているが――
 あれは15歳の転機で紡いだものである。

 さらにいえば――
『魔術幻想舞踊』という短編連作も掲載しているが――
 あれは22歳の転機で紡いだものである。

 29歳の転機で紡いだものは、本サイトには掲載していないが――
 ウダツの上がらない医者の夫と、若き政治家の妻とが織り成す――現代ファンタシーである。

 文章の技術は、連続的に上達していく。

「上達」というのが、おこがましければ――
「変化」でよい。

 が、物語の紡ぎ具合は、そうではない。
 段階的に変化していく。連続的には変化していかない。

 そこがよい。

 15歳や22歳で紡いだ物語は、今、読み返すと新鮮だ。
 それを、今の文章技術で料理できる喜びがある。

 7年目の壁のお陰である。