マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

後藤新平のこと

『日本医事新報』という週刊誌がある。医学・医療の専門誌だ。
 大正10年創刊というから、

 ――老舗

 である。

 今月の第1週の号に、養老孟司さんが巻頭言を寄せている。

 その末尾のほうで――
 まず、

 ――私個人は、個人を対象にする医療に、もはやさしたる関心はない。

 と断られた上で――
 個人を対象にするのではない医療――衆人を対象にする医療――への御関心を、暗示されている。

 ――例えば、後藤新平である。

 と――

 寡聞にして――
 後藤新平の名を知らなかった。

 江藤新平と間違えたくらいである。
 江藤は、明治初期の政治家だ。佐賀の乱に関わった。

 後藤新平は、明治、大正、昭和初期に活躍した医師、行政家である。
 台湾総督府の民政長官や満州鉄道の総裁などを歴任した。
 公衆衛生の行政手腕に優れていたらしく、
 
 ――日本の女性の平均寿命を伸ばした。

 ともいわれているらしい。

 ボーイスカウト日本連盟の初代総長を務めたそうだ。
 制服姿の肖像を、ネットで容易に確認できる。

(どっかで、みたことのあるぞ)
 と思った。

 実は僕自身、小・中学生の頃にスカウト活動に勤しんでいる。

 不思議なもので――
 そうと知れば、色々と興味がわいてくる。

 台湾総督府時代は、日露戦争の立役者・児玉源太郎の股肱であった。
 児玉は、後藤に全幅の信頼を寄せ、台湾統治の実務を任せたという。

 このエピソードは――以前の『道草日記』(2005年1月20日)にも書いたので――知ってはいたのだが――
 任せた相手が、後藤新平という名であったことは、気にも留めなかった。

 後藤新平――
 なかなかに面白みのある人物だ。

 養老さんが老舗の医学雑誌で触れられるだけのことはある。