子供の頃――
世の中には、ごく一部の偉い人たちがいて――
その人たちが世の中を思うように動かしている――
と考えていた。
――そんな偉い人たちの仲間になりなさい。
と教わり続けて――
僕は、多感な青春期を過ごした。
今は、そんな風にはみていない。
世の中は、ごく一部の偉い人たちが動かせるほどに、単純な仕組みで動いているのではない。
そのような世界観は、青春期の同世代間競争に、いま一つ熱中できなかった人たちが抱く一種の幻想ではなかろうか。
青春期の同世代間競争に熱中し、そのトーナメントの頂き付近を見上げた者ならば――
なんとなく直感で、わかってしまうものである――
頂き付近には、実は何もない、と――
ブラック・ホールがごとき闇の漆黒が――
口をあけて待っているだけである、と――
まず立ちはだかるのは、自分の寿命である。
人は、100年と保たずに息絶える。
たったの100年である。
100年では短すぎる。
世の中を相手にするには、短すぎるのだ。
だから――
もし頂き付近に不老不死の妙薬でも転がっていれば――
いささか事情は異なったかもしれない。
が――
そんな妙薬が転がっていたりなどは、ありえない。
かりに転がっていたとしても――
ブラック・ホールに吸い込まれていくのが関の山である。
世の中とは、そのような仕組みで動いている。
一人ひとりの人々の思惑を超越した仕組みで動いている。
だから――
世の中を動かしてやろうと、本気で思っている者たちは――
大バカ者だといっていい。
世の中は動かされるのではない。
動くのである。
その動きに、人は、ただ合わせていくしかない。
さながら、荒海を漂う小舟がごときものである。