ここ2、3週間で歯が痛くなったので――
歯医者に行ってきた。
数日ほど前のことである。
僕の家系は、なぜか歯が丈夫である。
父も僕も、ほとんど齲歯(虫歯)というものを経験していない。
伯父もそうらしい。
その代わり、そういう人間は歯周病による歯槽膿漏のリスクが高いので――
歯科の世話に全くならないというわけにはいかない。
僕も似たような理由で、時折、歯科の世話になる。
というわけで――
5年ぶりくらいで歯医者に行ってきたわけだ。
そこで、歯磨きの大切さなどを改めて説明されたりすると――
つい思ってしまうことがある。
それは、
――歯磨きは、本当は必要ないのではないか。
ということだ。
石器時代の人類は、歯磨きなどはしていなかったはずだ――
なのに、なぜ僕らは歯磨きをせねばならぬのか――
むしろ、歯磨きをすることで、かえって歯や歯茎を弱くしているのではないか――
という疑念である。
結論からいえば――
合理性に乏しい疑念である。
たしかに、石器時代の人類は歯磨きをしていなかったようだが――
当時は寿命が30年くらいであった。
歯槽膿漏などで歯を失うのは30歳以降である。
だから、歯磨きをしなくても問題はなかった。
むしろ、歯槽膿漏で歯を失い、摂食が困難になり、その結果、寿命を縮めていた可能性がある。
あるいは――
こう考えることもできる。
石器時代の人間は、現代人には信じられぬくらいに硬いものを食べていた。
そして、それを何度も繰り返し噛み砕いていた。
その硬さや噛み砕きの回数は、現代の比ではない。
それが、歯磨きの代わりになっていた。
むしろ、下手に歯ブラシを突っ込むより、よほど効率的であったかもしれない。
歯ブラシというのは、どうもウマくない。
もちろん、文明の利器とは思うが――
上下の馬蹄形の歯茎に沿って並ぶ歯群の列という構造物を清掃するには、十分ではない。
ハッキリいえば――
あの複雑な構造物を完璧に清掃するのは、人間業ではなかろう。
何もしないよりはマシだから、とりあえず、する――
というのが、歯磨きの実態ではないか。
歯間ブラシやデンタルフロスとかいう新手の用具が出てきても――
その事情は本質的には変わるまい。