マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

不完全なのに完全を

 死を常に意識しながら生きるというのは――
 本当に難しい。

 日々の雑事に追いまくられ――
 人は、いつしか、自分が死に行く存在であるということを、忘れてしまう。

 実に、あっさりと忘れてしまう。

 たぶん、忘れるようにできているのだろう、ヒトの脳というものは――

 人の心は、常に死を意識しながら生きるというプレッシャーに、耐えられぬのではないか。

 だから、脳が安全装置を働かせ――
 人の心は死を忘れるように仕向けられている。

 そして――
 その安全装置は、いよいよ自身に死が迫ってくるときにも、必死に作動しようとするのだが――
 うまく作動することなく、人の心はパニックに陥る。

 日頃、がっちりと作動しているのなら――
 最後も、きっちりと作動して欲しい。

 が、そうはならない。

 安全装置というものは、全ての装置がそうであるように、完全無欠であるわけがない。

 人の心は、脳という不完全な装置に、終生、踊らされていくしかないのである。

 完全でないものが、常に完全を志向する――
 そういう性質を、人の心は含んでいる。

 死を忘れるということは、自分が永遠を生きると思い込むことだ。
 永遠は完全の一つである。

 それを、

 ――人の業

 と呼んでもよいかもしれない。

 人に原罪があるのなら――
 その報いが、これなのか。

 不完全なのに完全を追い求める――
 こんなに苦しいことはない。