「ミャンマー」と呼ぶか、「ビルマ」と呼ぶか――
そこからして問題である。
とりあえず、ここでは――
「ミャンマー」と呼ぶことにしよう。
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ミャンマーの軍事政権に対する民衆のデモが激化し――
当局が武力鎮圧に乗り出した。
日本人ジャーナリスト1名を含む何人かが、死亡したらしい。
アメリカや日本などの民主主義を標榜する国々からみれば――
言語道断の事件である。
国家の武力は民を守るためにあるのであって――
民を鎮圧するためにあるのではない。
が、これは、あくまで、民主主義を基幹に据える国々の価値観に基づく判断である。
そうではない国々の価値観によれば、「言語道断!」というほどのことではないかもしれない。
ここが、難しいところである。
世界の諸処の価値観は、時に信じられぬくらいに喰い違う。
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ミャンマーでは、民主化を求める動きが根強い。
彼らは自国を「ビルマ」と呼び――
政権を不正に奪取した者たちによって勝手に用いられている呼称が「ミャンマー」である、との立場をとっているようだ。
よって、ミャンマーを「ミャンマー」と呼ぶか「ビルマ」と呼ぶかは、決して軽視できぬ問題だ。
彼(か)の国の現行政権を認めるのか認めぬのか――
彼の国の民主化運動を幇助するのか幇助せぬのか――
その意思表示に直結する。
僕は、敢えて「ミャンマー」と呼ぶことにする。
こう呼ぶのは、いささかツラい。
ミャンマーの民主化運動には、僕は、かなり同情的な思いを抱いている。
が、日本を含む多くの国々が、ミャンマーの現行政権を正統とみなし、外交交渉の相手としている。
この事実は重い。
もちろん――
ミャンマーの現行政権の施政は、僕らの価値観からみれば、言語道断なのだが――
それだけでは、政権の正統性を否定する理由とはならない。
第一、僕らはミャンマーの国民ではない。
ミャンマーの将来を論じる資格に乏しい。
国家間の垣根は、悲しいほどに高い。