マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

草木が言葉、文章は庭園

 文章というのは不思議なものだ。

 完全無欠であれば、読みにくい――
 少しくらい隙のあるものが、読みやすい。

「隙がある」といっても――
 例えば、文法ミスの類いは致命的になる。

 誤字や脱字も、ないにこしたことはない。

 が――
 全体的に論理整然としていて、含まれている語彙も盛大で――
 明瞭に、かつ詳細に述べられている文章というのは――
 読んでいて、ものすごく疲れる。

 役人や学者の書く文章は、概して、そういう傾向にあるが――
 彼らの文章の多くが、最後まで、きちんと読まれることはない。

 文章は、人の心を動かす道具である。

 いや――
 文章が、ではなく、言葉が、だ。

 文章は、言葉を書類の上に固定する。

 固定された言葉が、人の心を動かす。

 が、その固定のされ方に不具合があると、言葉の機能が十分に発揮されない。
 明瞭で詳細すぎる文章は、言葉の固定のされ方に不具合があって、言葉が死んでしまうのであろう。

 言葉を固定しつつ、生かし続ける――
 それが文章の醍醐味だ。

 庭園の草木に似ているかもしれない。

 草木が言葉、文章は庭園だ。