自民党の総裁選が始まった。
各種報道機関が、こぞって取り上げている。
が、この総裁選を、各種報道機関は、いかに伝えるべきか――
よく考えると、なかなかに悩ましい問題である。
総裁選というのは、自民党のトップを決める選挙である。
いうなれば、自民党の「私的」な選挙だ。
自民党の関係者にとっては、まことに大切な選挙に違いないが――
自民党と特に関係のない人々にとっては、どうでもよい選挙である。
よって、各種報道機関は、本来、総裁選を多大に取り上げるべきではない。
例えば、商社の社長人事を取り上げるようなものである。
が――
そうもいえぬ事情は明白だ。
なぜかといえば――
この国の現在の政情では――
自民党のトップは、直ちに、この国の政権首班の座に着くことが確実だからである。
それゆえに、各種報道機関は、かかる「私的」な選挙を、こぞって取り上げる。
この国の舵取り役を決める選挙となれば、人々の関心も集りがちだ。
需要と供給とのバランスもとれている。
以上のどこに病理があるかといえば――
自民党のトップ = 内閣総理大臣
という図式にある。
これは、煎じ詰めれば、人々の意識の問題だ。
この国は議院内閣制を採っている。
最大与党の最高指導者が政権首班の座に着くのは、議院内閣制の必然だ。
ここで大切なのは、そうやって決められた政権首班が、
――仮のものにすぎない。
という意識である。
そうした意識を、この国の有権者が広く共有することで、病理は解消される。
衆院の総選挙を経ぬ政権首班は、結局は本物ではないのだ。
本物でないのは、「私的」だからである。
「私的」が不適当なら、「暫定的」でよい。
こういうと、
――国会議員を軽視するのか!
と、お叱りを受けそうだ。
が、日本国は国民主権の国であって、国会議員主権の国ではない。
なるほど――
国会議員は国民から主権を依託されている、といえるかもしれない。
自分たちの判断で政権首班を最終指名できる、といえるかもしれない。
が、そこは、
――政権首班を暫定的に擁立できる。
でも十分ではないか。
国民が依託するのは――
敢えていえば――
雑多な「些事」である。
政権首班の最終指名は「些事」ではない。
国民に任せてもらいたい。