政治家の仕事を2つに分けるとしたら――
内政と外交とになろう。
ところが、困ったことに――
たいていの場合、内政の巧い人は外交が下手で、外交の巧い人は内政が下手である。
両方とも巧い政治家を、僕は知らない。
みたことも、きいたこともない。
もちろん、基準を甘くすれば、そういう政治家も、いないわけではないが――
この際、甘口の採点は何の益にもなるまい。
よって――
政治の現場を厳しく監視すべき有権者としては、
――内政も外交も得意な政治家は存在しない。
という前提に立ったほうがよい。
つまり、有権者として望ましい態度とは――
自分たちの国が、今、内政と外交とのどちらに、より深刻な問題を抱えているかを察知し、その結果に見合った政治家を、政治の現場に送り込もうとする意欲である。
古来より、
――内憂外患
という。
内政問題が「内憂」で、外交問題が「外患」だ。
内憂か外患か――
有権者にとっては、常に、それが問題なのだ。
翻って――
今の日本国は、どうであろう?
僕は内憂のときとみる。
なるほど――
たしかに、テロ対策特措法の問題など、外患もないわけではないが――
例えば、イラクやアフガニスタンを抱えるアメリカに比べれば、取るに足らない。
日本の内憂の最たるものは、
――議会制民主主義が未だ根付いていない。
ということだ。
例えば、政権交代が常態化していない。
社保庁の倫理欠如も教育現場の機能不全も、結局は、議会制民主主義が十分な活力を持っていないということに行き着こう。
55年体制が確立されて以来、政治の現場が硬直し、新たな問題に対応できないでいるのだ。
こういうと、
――政権交代で全てを解決できるわけがない。
という人がいる。
それは当たり前だ。
政権交代の常態化は必要条件であって、十分条件ではない。