今、
――ヒトの体を物理で説明できるか?
ということについて、少し考えている。
「物理」というのは「物理学の初歩」くらいの意味で、――
いわゆる「高校物理」を想定している。
ただし――
厳密な意味での高校物理は、微分・積分を用いた説明を省くので――
そういう意味では、高校物理を逸脱する。
やはり、微分・積分を用いぬ物理学は、物理学たりえない。
高校物理にこだわる理由は――
ヒトの体を最新物理学で説明する試みは、とっくの昔に珍しくなくなっているからだ。
例えば、
――脳を物理学で斬る!
みたいなスローガンは――
手垢にまみれているといってもよい。
イギリスの数学者ロジャー・ペンローズが著した『The Emperor's New Mind 』(日本語版『皇帝の新しい心』林一訳、みすず書房、1994年)以降――
むしろ、定番のきらいすらある。
最新物理学ではなく――
高校の授業で触れねばならぬ程度の初歩的な物理学の枠組みの中で――
ヒトの体を、どこまで理解し、記述できるのか――
幸い――
僕は、高校生に物理学を教えて10年以上になるし――
大学時代は医学を専攻し、ヒトの体の構造や機能の基本は、おさえることができた。
とくに取材や勉強を重ねることなく、
――いかに表現するか?
に絞って純粋に文芸的活動に邁進できるような気がする。
途中で飽きたりしないかどうかが、気になるところだが――
まあ、大丈夫であろう。
そもそも――
高校の頃に、
――ヒトの体にニュートンの運動方程式を当てはめると、どうなるのか?
みたいな疑問に取り憑かれた男である。
そういう性向に生まれついているに違いない。