――1年の計は元旦にあり。
とは――
あまり思っていないのですね。
「1年の計」はいつであってもよい、と考えています。
いちいち元旦に合わせなくてもいい。
例えば、1月2日でもいいし、2月1日でもいいし、12月30日でもいい。
もし、1月1日から12月31日までの1年間で何事かをなそうと思ったときの「1年の計」であるならば――
それは、元旦がよいでしょう。
でも、1年を暦通りに数える必要はない。
別に、1月2日から翌年の1月1日でも、2月1日から翌年の1月31日でも、12月30日から翌年の12月29日でもいい。
つまり、
――思い立ったが吉日
ということを、僕はいいたいのでしょうね。
にもかかわらず――
僕自身、わりと元旦を節目にすることも少なくはないのです。
例えば、『道草日記』などの文体を、断定語調から丁寧語調へ切り換えてみたり――
だって――
元旦を節目にするほうが、何となく気持ちよいではありませんか。
つまり、
――1年の計は元旦にあり。
ではなくて、
――1年の計の端緒は元旦にあり。
ということですね。
言い換えると――
「1年の計」を定めるのは、いつでもよい――ただし、その実行は元旦のほうがいいんじゃないの――
そういうニュアンスで受け取ってもよいのなら、
――1年の計は元旦にあり。
でも、悪くはないかなと感じます。
何事かを始めるときに――
僕には助走が必要のようです。
やると決めて、すぐにそれを始められるほどに――
僕は器用な人間ではありません。
「ああでもない」「こうでもない」と、何もしないでウダウダしているような期間が――
僕には欠かせないのです。
そのかわり――
僕には三日坊主というのが、ないのですね。
一度、始めたら、わりと長く続くのです。
たぶん、助走がきいているのでしょうね。
人間の短所と長所とは、かなり近いところで互いに複雑に絡み合っています。