マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分より若い人たちとの接点を求めて

 自分より若い人たちとの接点を求めて――
 僕は未だに塾講師の仕事をやっております。

 主に高校生に勉強を教えております。
 大学1年のときからです。
 そろそろ15年になります。

 自分より若い人たちとの接点がもたらす恩恵は――
 自分が若かった頃のことを見失わないで済むという点です。

 僕は今年で35歳になりましたが――
 今も毎週16~18歳くらいの高校生と接しているおかげで、20年前の自分を見失わないで済んでおります。

「20年前の自分を見失わない」というのは――
 例えば、20年前の自分の良いところや嫌なところをはっきりと覚えている、ということです。

 良いところが思い出されるのは、嬉しいものですよ。
 20年前の自分を誇らしく思うことで、今の自分の自信を深めることができます。

 逆に、嫌なところが思い出されるのは、あまり嬉しい気分ではありませんが――(笑
 それでも――
 その「嫌なところ」が、今の自分で多少なりとも改善されていれば――
 やはり、今の自分の自信を少しは深めることができます。

 あるいは――
 20年前の自分の嫌なところを、20年前の自分と同年輩の人が克服しているところをみたりすると――
 その年下の若い人を、素直に尊敬できたりします。

 年下を尊敬する態度というのは、非常に大切な心がけだと思うのです。
 人を謙虚に見ることはもちろん、心穏やかに見ることが必要だからです。

 尊敬できる年下の人というのは、過去の自分になかった良さをもっているはずです。
 だから、尊敬できるわけで――

 ところが――
 過去の自分になかったものを「たしかに、なかった」と認識するには、謙虚さだけではダメなのです。

 醒めた勇気や確かな記憶が必要です。

 蛮勇を差し控え、記憶を精緻に呼び起こすには――
 いつも自分の心が穏やかでなければムリでしょう。

 そういう人が、自分より年下の人を尊敬できるに違いないと思うのです。

 実は――
 このことは引っくり返しても成り立つと、密かに思っております。

 つまり――
 日頃から、自分より年下の人を尊敬しようと努力している人は――
 そのうちに、自然と心穏やかになれるのではないか、と――

 ちょっと言い過ぎかな(苦笑

 ですが――
 これだけはいえますよ。

 年下を尊敬しようとしない人に、心穏やかな人はおりません。
 そういう人は、年中、不機嫌に怒っていたりします。