マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

公園を野山と思わずに

 ――自然言語

 という言葉があります。
 ヒトの社会が作られ、そこで自然に生まれた言語のことです。

 コンピュータ言語のような人工言語に対比する概念として理解できます。

 そうなのです。
 たしかに、言語は自然物なのです。

 そのことを実感するには、例えば、受験英語の文法書をみるとよいでしょう。

 それら書物を、英字雑誌や英字新聞に書かれた英文などに親しんだ目でみると、いかにも自然物に人の手の入った様相に感じられます。
 さながら、野山が切り崩され、公園に整備されたような様相です。

 それが悪いといっているのではありませんよ。

 子供が野山で遊ぶのは危険です。
 公園という人工的な空間で遊ぶほうが、ずっと安全です。

 それと同じような意味で――
 受験生に、いきなり英字雑誌や英字新聞はツラい――

 大切なのは――
 そうした受験英語の文法書をみて、

 ――あ、公園だ。

 と思えるかどうかでしょう。

 少なくとも受験英語の指導者は、そう思えないといけません。

 指導者が公園を野山と勘違いしたままでは――
 その指導者に教わった受験生が、将来、野山に出たときに――
 たぶん、恥ずかしい思いをすることでしょう。