マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「学際的に広く知られている」という発想

 この国では、著名な科学者の紹介に、

 ――国際的に広く知られている。

 という褒め言葉が、しばしば添えられますが――
 それと同じように、

 ――学際的に広く知られている。

 という褒め言葉があっても、いいと思うのですよ。

 学者の「国際的に知られている」というのは――
 通常は、

 ――同じ分野で研究をしている外国の学者たちに知られている。

 といった意味です。

 たしかに「国際的に」で間違いはないのですが――
 世界での同じ研究をしている人たちの総数が何人かを考えると、ちょっと大げさな褒め言葉のような気がします。

 下手をすれば数十人――
 多くても、小さな町の人口くらいのものです。

 これに対し、「学際的に知られている」というのは、様々な研究をしている人たちの間で知られているということですから――
 優に大都市の人口くらいに匹敵するでしょう。

 仮に、それらの人々が皆、日本人であったとしても、何らマイナスにはなりません。

 学界は、分野が違えば、価値観が全く異なります。
 例えば、理論科学の世界と実験科学の世界とでは、日本とアメリカとの違い以上に異なります。

 そうした垣根を越えてなお知られているということは――
 少なくとも「国際的に」と同等の価値があるはずなのです。

 が、実際は「国際的に」の褒め言葉ばかりが、もてはやされます。

 理由は簡単で――
 当の学者さんたちが「学際的に」の褒め言葉を嫌うからです。

 その理由も簡単で――
 学者の業績や力量といったものは、分野が違えば、正当な評価が非情に困難だからです。

 たしかに、深いレベルでの評価は困難なのですが――
 浅いレベルでの評価は、相応の教養があれば、それほど困難なことではありません。

「浅いレベル」というのは、言葉が悪すぎですが――(笑
「教養のレベル」と言い換えれば、そうでもないですよね。

 学者さんたちには、専門のレベルだけでなく、教養のレベルでの評価を、もっと積極的に踏み込んで行ってほしいと感じます。