――人の体は機械だ。
というと――
自然科学者以外の人たちは、
――けしからん!
と気色ばむかもしれません。
自然科学者は、
――え? そんなの、当たり前でしょ。
と訝るかもしれませんね。
この違いは、自然についての知識や理解の差に起因することは、たぶん否定しがたいところです。
ヒトを含む生き物の体を見回すと、機械でないようにみえるものは、ほとんどないのですね。
この場合の「機械」とは「精巧な分子機械」のことでして――
人が作る機械とは趣が異なります。
「人の体は機械」というときに――
自然科学者は、
――生物種としてのヒトの体は、非情に精巧な仕掛けの分子機械である。かけがえのないものである。
という意味でいっているのですが――
自然科学者以外の人たちは、
――かけがえのない一人ひとりの体も、所詮は、ただの機械にすぎない。いつでも壊してかまわない。
という意味できいてしまうのです。
ですから、「機械」という言葉に、誤解の源であるわけですね。
――機械は精巧――
とみるか、
――所詮は機械――
とみるか――
僕は、元々、機械が嫌いで、中学や高校のときに工学部へ進学することはツユも考えなかったくらいなのですが――
機械が正常に作動する不思議や、それを人が作れてしまう不思議を思うとき、機械への拒否反応は薄れました。
ただ機械を使っているだけで、それ以外のことを知らないと、機械への悪いイメージが定着してしまうようです。
なぜ機械が動くのか――
どうしたら、それを作れるのか――
そういったことに興味を持つか持たないかで、機械へのイメージは大きく変わります。