マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

再び「精神の意義」へ(7)

 身体が、時刻 0 から時刻 t にかけて受け入れる“身体の内部の全体情報”の量 I (t) は、

  ∫ q (x; t)(− ln p (x, s; t))dx

 という量が減れば、増える量であり――

 

 身体が、時刻 0 から時刻 t にかけて身体の内部に受け入れた情報の量 I (t) のうち、q (x; t) に関わる情報の量を差し引いて残る量 R(t) は、

  ∫ q (x; t){− ln p (x, s; t) −(− ln q (x; t))}dx

 という量が減れば、増える量である。

 

 当然――

 逆のこともいえる。

 

  ∫ q (x; t)(− ln p (x, s; t))dx

 という量が増えれば、I (t) は減り、

  ∫ q (x; t){− ln p (x, s; t) −(− ln q (x; t))}dx

 という量が増えれば、R (t) は減る。

 

 ただし――

 q (x; t) は、身体の持ち主が、身体の外部における状態について、主観的に見積もる確率であり――

 x は、身体の外部における状態を決める変数であり――

 − ln p (x, s; t) は、身体の持ち主が、身体の外部における状態について、感覚器を通して察するエントロピー(entorpy)であり――

 ln は、高校の数学で学ぶ自然対数であり――

 s は、身体の感覚器が受け取る信号を決める変数である。

 

 ところで――

 

  ∫ q (x; t)(− ln p (x, s; t))dx

 とは、どんな量であったか。

 

 ……

 

 ……

 

 それは――

 身体にとっての、身体の外部における状態のエントロピー S (t) であった。

 

 つまり、

 

  I (t) = − ∫ q (x; t)(− ln p (x, s; t))dx + C

  ⇔ I (t) = − S (t) + C

 

 である。

 

 ただし、C は定数である。

 

 これと同じように――

 全く形式的に、ひとまず、

  R (t) = − X (t) + Γ

 としてみる。

 

 ただし、Γ は定数である。

 

 この時、

  X (t) = ∫ q (x; t){− ln p (x, s; t) −(− ln q (x; t))}dx + Γ

 である。

 

 この X (t) とは、いかなる量か。

 

 数式をみて、すぐ判るように、

 

  X (t)

  = ∫ q (x; t)(− ln p (x, s; t))dx

   − ∫ q (x; t)(− ln q (x; t))dx + Γ

 

 であるから、

  X (t) = S (t) − ∫ q (x; t)(− ln q (x; t))dx + Γ

 である。

 

 では、

  ∫ q (x; t)(− ln q (x; t))dx

 とは何か。

 

 ……

 

 ……

 

 これは――

 数式の形から判るように、q (x; t) に関わる情報が、身体の内部に留まる結果、身体の内部における状態に発生をするエントロピーである。

 

 このエントロピーを Y (t) とすれば、

  X (t) = S (t) − Y (t) + Γ

 となる。

 

 つまり――

 X (t) は、身体にとっての、身体の外部における状態のエントロピーから――

 身体が、q (x; t) に関わる情報を身体の内部に留める結果、身体の内部における状態に発生をするエントロピーを差し引いた量に――

 定数を加えたもの――

 と判る。

 

 ……

 

 ……

 

 このように考察を進めていくと――

 あることに気づく。

 

 (似たようなことが19世紀の熱力学で論じられていなかったか)

 ということである。

 

 『随に――』